こんにちはこあです。

8月7日の大雨、線状降水帯で被害はなかったもののドキドキしながら過ごしていました。

朝早くに夫に起こされ、状況次第では車移動をしなきゃいけないよ。と告げられそこからの葛藤。

大丈夫!

という思いと、もしかしたら・・・という思い。

9時半頃の雨の予想ではあと40分ぐらいで止むけど雨の勢いが増してくる。

「あーさっさと車移動させておけばこの不安はないんだろうな。。。」

と思いつつも移動が面倒。というのを繰り返しながらようやく重い腰を上げて車移動。

道路は約30センチほどの冠水だけど、まだ家の方は大丈夫。

車を移動して家に戻ってくると階段下まで水が溜まってました💦
とりあえず移動して正解だったぁ〜とホッとしたのですが、
安心して家に入ったら余裕が出てきたのか他の事も気づいた。

風呂場の排水溝から出てくる異音。

「もしかして下水??」

と不安。。。。

しかも、トイレの水を流しても流れが悪い!
最初はこんな時に排水管詰まった??と直すことを考えてたけど

「あー洪水って下水にも影響があるよね。。。」

と当たり前の知識が現実には何も役に立ってない事が判明💦

能登地震の時もそうだけど、知識・情報って役に立つのか?
それより知恵の方が大切だわ。

と妙に納得した。

結局は知識・情報より普段から自然の知恵で生活しているかが大切なんだよね。

現代って自然の知恵で生活していない。
それらを忘れている。
というより、知っていた時代があったのだろうか?

自分の身体から見ていくと、どれも中途半端な知識ばかりで出来てた時代を見つけられないのよね。
出来てた時代を模索するより、身体から探した方が早い。

もしかしたら手っ取り早く掴めるかも!
なんて淡い期待が遠回りさせてた💦

現代の生き方して多分、やっぱり老化で記憶低下や体の不調が出ているけど、これもどうにかなるように探してる最中。

40後半で出来たら良かったんだけどね。
本気になるのも遅かった。

いや、この本気というものも手強いのよ。
そこ探すのに時間かかったんだよね。

あーほんと、歳をとると自分のしてきたことしっかりと見せられる。
だけどその分今は体との関係を結びやすいとも言えるんだよね。

「体」が何か「意識」が何かが分かりやすいのよ。
若いうちは体が無理を出来るから勘違いしてしまってるんだよね。

体と脳の認知の歪みから起こるもの。

自業自得。
でも自業自得って自分でしか直せないのよ。
他者には直せないから自業自得なのね。

自分のしていることの影響しか自分の人生に影響を与えてない。
それぐらいに自分のしていることって重大なのよ。

この「自分」という存在の大きさにみんなが気づいたら凄いことになりそうなのよね。
一気に変容が起こっちゃう。

そんな力なのに変わらないのは他責が殆どだってことなのよね。
いいも悪いも「他責」

誰も自分の力を発揮してないし使ってない。
いや、使ってるのか。。。。自分の使いたい方向に使ってないだけなんだよね。

って、線状降水帯の話から全く違う方向に行っちゃったけどまあいっかw

最近少し自然との付き合い方が分かるようになって
自然って優しいな
なんて思ってる。

色んなこと教えてくれてる。
気づいたら自分の在り方・生活の仕方が変わる。
自然の知恵との共存になる。

自然の一部としてはまだまだブレブレで戦力にはならないけど、いずれは自然の戦力として堂々としたいな。

まだまだ、自然にも体にもごめんなさい状態のこあでした。

それではまた。